2013年6月12日水曜日

完全自立兵器反対派はどうしてこう、「安易な戦争」に逃げたがるのか

ニュース - 科学&宇宙 - ロボット兵士が戦場へ? - ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト(ナショジオ)

ロボットは国家が戦争をしやすくする可能性があり、(また)それゆえに独裁者が自国民を制圧する目的にも使われかねない。もしロボットが制御不能になったら、誰が責任をとるのでしょうか。機械が人間を殺すことは許容されることでしょうか。

 またぞろこういう話か・・・と、頭が痛くなる。
言ってることは単純だ。だから解りやすい。素人にでもイメージしやすい。イメージしやすいから共感もされやすい。
 だがしかし、単純化させたがゆえに落としちゃいけない見落とし・そぎ落としが発生して結論が間違った方向に行ってしまうのは多々ある。

 戦争はそうそう簡単に始まるものじゃない。数年の交渉を重ねても解決できず、年単位の綿密な計画立案期間を経て、最後通牒突きつけて、やっとこさ始まるのである。
しかもその途中で“戦前+戦費<戦後”がコストだけでなく、第三国の感情やらなんやら色んな要素ひっくるめて、トータル値で成立しなければ戦争にはならない。

 独裁者云々もまた然り。権力の掌握とともに独裁者は富も掌握する。独裁者が支配する国は得てして疲弊する。国力がないのでそんな兵器を揃えられないし、買えたとして、維持する兵士を育てる予算に金が回らない。その金を独裁者は欲するだろう。
 もし、独裁者の暴力が民心から民「身」に変わるときは、末期のパニック状態ゆえの選択であり、その日のために準備している独裁者なんていうのは皆無だ。その辺はカダフィの末路でも明白だ。

こういう人たちは「安易な戦争」という言葉が大好きなようだが、
戦争にもともと安易なんてものはないのだ。彼らが仮定する世界は、そうなる前に破綻する話ばかりだ。複雑な過程に迂闊にも目を向けていないか、わざと触れないことで自説の強化に使っているだけだ、と断言したい。

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